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いまここの空〜気持ちを楽に暮らす

楽な気持ちで一歩を踏み出すお手伝いができれば。日常の色んなこと、思う事など綴っていきます。

夢の記録はじめます

昨日、ある方のブログで夢には意味があるという記事を読みました。

私は「人間はもともと完全であって、この現世では完全ではないことを体験しに来ている」という考えについて、そうだよなーと思っています。
その中で、自分がもともとは完全であることをなかなか思い出せない人が多いから、たまに夢で見せている、というようなお話。

私は昔からよくデジャヴといわれる現象によく出会います。皆さんもありませんか?「あ、ここの場面、どっかで見たことある!」というもの。

それが夢の中なのか、なんなのかは良くわかりませんが、夢には意味がありそうで、それについて記録していくのも面白いかも、と思ったのです。

 

夢についても、以前はすごくはっきり覚えていました。夢と思えないくらいはっきりとです。
でもなぜかここ1−2年はあまり夢を見ていないのか、覚えてないことが多くなりました。
これにも意味があるんだろうと思ってます(その意味はまたおいおい)
目覚めた時には覚えていても、少し時間がたつと忘れちゃう。
なので、夢日記をつけていこうと思います。
(なお、私自身は夢占いはしてません)

プラス、ある本からその日のアドバイスを頂きます。
ある本とは、『傷つくならば、それは「愛」ではない』というチャック・スペザーノ博士の本です。悩んだ時や何か思うことがある時、開く本がいくつかありまして、その一つ。

 

では早速昨日の分、参りましょう!

 

2021年3月8日(月)の夢

高層マンションだかビルに住んでいます(住んでるんだけど、家というよりビルっぽい)。
いるのは私と犬と多分母。(以前高層マンションに住んでたからその時の何かかな?)
突然、グラ〜〜っと揺れたかと思ったら、逆さまになっている。「地震が起きて、揺れに耐えられず建物が折れちゃったんだ!」と思いました。
窓があったはずですが、いまは閉じ込められてます。周りは青っぽい光があります。瓦礫とかじゃなくて、青いライトが壁についているちょっとスペースマウンテンの中みたいな感じ。
そして周りにはちょっと水も気配として感じられてたかな。
「あー、このままだとどこにもいけないし、動けないまま、空気も無くなっちゃうんだ・・・、どうしよう。災害で瓦礫の下敷きになるってこういうことなんだ」って思ってました。でもなぜか助けてーとかも言わなかった。うちのわんこは大丈夫かな、と心配してた。

というところで目覚めた。か覚えているのはここまで。

 

アドバイス

先ほどの本のページを目を閉じながらパラパラめくり、とめたところがその日のアドバイスとします。

すべての三角関係は、「ひとつの関係ですべてを満たすことはできない」という思いこみから生まれる

(傷つくならば、それは「愛」ではない byチャック・スペザーノ博士)

私たちは、子供の頃に経験したアンバランスな家庭環境により、結びつきの欠如が引き起こされ、すべてを手に入れることはできないのだ、父や母から同じように愛情を受けることはできないのだ、と「思い込んで」しまうことがある。

例に出されているのが、どちらかの親とべったり、という関係。
また、親だけでなく、配偶者、パートナーと自身の親との関係でも同じようなことが言える。

例えば、自分の母親にべったりで配偶者をないがしろにする人、とか。昔のドラマでありましたが、冬彦さん見たいな。
もしくは家ではうまくいっているけれど、仕事ではうまくいかない、とか(その逆も)。

しかしながら、私たちが「ひとつの関係にすべてを与える」という強い気持ちを持てば、文字通り、すべてを手にすることができる。

 

たまに敵を作って、ほかの人と仲良くしようとする人、いませんか?
「あの人、嫌よねー(ひそひそ)」と言って、団結しようとする人々。家庭でも仕事場でも割と多いような気がします。

 

目を閉じて、自分と周りの人々を思い描き、その誰からも愛を受け取り、また自分からも愛を発していることを想像します。パーフェクトな調和の中にいる自分を発見し、全てはそこにあるのだ、と気づきましょう。

 

考察

私は母親との関係にひっかかるところがあります。
「ああはなりたくない」と思い、反面教師になってましたね。
「早く独立したい」「ちゃんとしなくちゃ、ああ(母)なりたくないもん」という気持ちがとってもとっても強かったです。すごくバランスが悪かったです。
なんでそう思っていたかというのは、また機会があれば書きますが、ひとつのエピソードを。

私が小学生の頃(何年かは忘れた)、両親と夕食を食べに行った際、酔っぱらって「早く料理持ってこーい!!」と叫んだんです。混んでたので、お客さんは結構いたのですが、何事かと見ますよね。で、そんなことする母が嫌だったのと、ほかのお客さんからの目が痛くて、一人店を出て帰りました。私の「ちゃんとしなくちゃ」は、人の目を気にするようになってました。

歳をとった今は、母のきもちも分かるようになりましたが、やっぱり今でも引っかかってます。でも、それはそれでいいと思うようになりました。以前は「親なんだから面倒みなくちゃ」とか気負って、どよーんとなってましたけど、私は私のために生きる、と思えるようになったので。

で、崩壊しそうな夢に母(らしき人)が出てきたこと、ひとつの関係ですべてを満たすことができる、というアドバイスが出てきたことは意味深く感じられます。
私は「愛されているのだよ」そして「愛を与えるのだよ」と知らされているような気がします。

やっぱり「私たちは完全」なんですよね!