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いまここの空〜気持ちを楽に暮らす

楽な気持ちで一歩を踏み出すお手伝いができれば。日常の色んなこと、思う事など綴っていきます。

あれから10年

今日は東日本大震災から10年という日なのですね。もうあれから10年経ったんだ・・・。

私はあの時、東京都の港区の高層ビルで働いてまして、すごーく揺れたの覚えてます。
オフィスの椅子がつつつ・・・・と滑ってた。みんなデスクの下に隠れてた。東京では結構小さな地震もあるので、多少ならみんなあまり気にしないと思うんですが、あの時は長かったし、高層階にいたせいか、揺れもひどくて怖かった。

数時間オフィスにいたけど、17時くらいに帰るときも電車が止まっていたから、結局歩いて帰り、家に着いたのは23時。ハイヒール履いてたから辛かったけど、立ち止まるわけにもいかないのでなんとか帰り着いたなー。よく歩けたなー。
オフィスの近くのホテルでタクシーでも拾おうかと思ったけど、全然無理。信じられないくらい歩いている人沢山いたな・・・・。

あれから10年。その間にいろんなことあったなー・・・。

 

と、思いを馳せた朝でした。そして、夢。昨日も今朝も覚えてなかったです。
今朝、早朝あたりかな、途中で意識があって、あー、これ夢かー、覚えとこーって思ったのに、また眠って、ちゃんと朝起きたときには思い出せなかった。

前より覚えていることが少なくなったと以前書いたのですが、物覚え悪くなったのと関係しているのかしら。

 

せめて今日のアドバイスだけでも例の本からもらいましょう。

 

癒着が起こるのは、絆がそこなわれたとき

感情がふくらんで手に負えないから、癒着はコミュニケーションを妨げる

(傷つくならば、それは「愛」ではないby チャック・スペザーノ

 

誰にでも「絆」は必要。それは癒着とは違う。絆とは自分自身と、他の人をありのまま認め、与え、与えられること。

人は何かしらの親しさを必要としているために、「絆」が感じられないと、「癒着」を選ぶ。
癒着は自分と他人との境界線がなくなってしまう。
癒着している人に対しては、言いにくいことを話そうとすると抵抗を感じてしまう、話したくない、と思ってしまう。言うと、相手を傷つけるだろうし、そのことで自分も嫌な思いをする。

でも、その癒着を断ち切って、言いづらいと思っていることを話すことこそ、絆を結んでいく方法である。今日こそ癒着を断ち切りましょう。

 

考察(って言えるかな・・)

絆と癒着。
自分の過去を振り返っても、癒着はなかったです、多分。
自分の思ったことを言ってしまうタイプなので、「こんなこと言ったらあの人に嫌われる」とか思ったことがあんまり(多分全然)ない・・・ような気がする。

昔から友達は多くありません。少ない方だと思います。でもその少ない友達とは「絆」があると感じられます。

相手が望んでいるであろうことを読んで発言する人、いますよね?
ちょっと逸れるかもしれないけど、例えば、「この服とこの服、どっちが似合う?」と聞かれて、本当はAが似合うと思っているのに、「この人はBの方が気に入っているな」と感じたら、「B!」と言ってくれる人。
背中を押して欲しい人には良いのかもしれないけど、私は「あなたがどう思うか」を聞いているので、この答えはあまり好きじゃないんです。はっきり言ってもらえる方がありがたい。

 

やっぱり「絆」という言葉がとても大きい。この日に「絆」。

自分に関することもそうだけど、やっぱり日本の各地や世界から、10年前に得た支援は絆からであり、そして、その時、「絆は大切」ってみんなが思って言ってましたよね、確か。
結婚を希望する人も多くなったとか。
自分一人より、喜びも悲しみもともに分かち合える人がいる方がいい。
そういう人が欲しいからと単に犠牲を伴う癒着ではなくてね。

 

繋がっている感覚、大事にしたいですね。

 

これは2011年3月あの日の前に見にいった河津桜と菜の花。
今年からは関東圏にいないので、なかなか行くには遠いけれど。

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